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2008年4月

九年目の朝(15)

                        (拙書より)

「祖父に逆らい切れなかったんだと思うんです。彼は絵描きになりたかった…。

受験の少し前に伯父から聞きました。自分が美大に願書出したときは、俺、そ

れが自分の気持ちだと思っていました。でも違ってた。父のぶんだった、たぶん。

いまは自分で自分が判ってると思います。同じ道のようでも動機が違う」

翌春、彼はデザインスクールに入った。

そして二年後の三月初め、私は早朝から念入りに共室の掃除を始めた。早過ぎ

る時間に支度が整ってしまうと所在なくて、あまり汚れていないガラスまで磨いた。

サイフォンにコーヒーをセットし、チーズケーキ用の取って置きの皿を確かめた。

八時ちょうどにブザーが鳴ると、駆け出しそうな自分を抑えながら、不覚な涙だけ

は禁物だと涙腺にしっかりとブレーキをかけて玄関を開けた。

「わあ、伸び過ぎ! 八年で三十センチってないよ。見下ろすな」

「じゃぁ、早く坐ります」

長身を折り畳むように坐った青年は、電話の向こうでずっと中学生だった文哉君

のはずはなかった。長めの前髪を掻き揚げて向けた瞳には、青年の謙虚さと壮

年の思慮深さが同席して見えた。ブレーキをかけたはずの涙腺が危ない。どうし

ても滲んできそうな涙を止めなければならない。そう思ったとき、自分でも予想だ

にしなかった言葉が流れ出た。

「十五分しかないのよね? すぐ行かないとね。就職先まで三十分でしょ?初出

勤バンザーイ、オメデトウ!次の目標、二科展入賞? そしたらお父さんに会い

に行くんでしょ?」

               (九年目の朝…おわり)

※  「第三の人生」なのだろうと、深い感動の中で、近付いた引越しに向けた荷

   造りに追われています。

   25年来の心友(彼女にしか使ったことのない称号)と暮らせる日々は、聖地

   への旅立ちを思わせて、時々刻々浮世の汚れを脱いでいます。

   しばらく休止させて頂き、聖地からの再開をと思っています。

   みなさま、どうぞお元気で…。

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九年目の朝(14)

                   (拙書より)

中学の理科には食物連鎖を学ぶ分野がある。生き物を「生産者」「消費者」「分

解者」に分けて、その役割や関連を教える課だ。「誰がいちばん偉いのか」は、

生き物の頂点に立つのは人間であるという物の見方が、諸悪の根源ではない

のかとすら思う私の、冗談ではない冗談クイズだ。答は、唯一の生産者である

「緑色植物」になる。時にキザなセリフも混ぜ込む。

「彼等はジタバタしない。吼えない、喚かない、説教もしない。黙々と創り出す。

られた物で、すべてが支えられる。尊敬。もひとつおまけ。その植物を、ミミ

ズやダンゴムシが分解した栄養が育てるわけだからミミズさまさま。ハイエナ

はウンコや死体提供してくれるしガマガエルもそうだし、人間だけがただの加

害物かもね。せっかくのウンコは薬品処理だし、死ねば燃やすしさぁ、ああも

ったいない」

コスモスが咲き乱れる頃、文哉君の電話は月に一度になった。近くのコンビニで

バイトを始めたと言う。

「センセ俺、金貯めます。目標額できたら、使い道言います」

十一月が来て正月が過ぎて、受験が終わって桜が咲きそして散り、煮えそうな夏

が終わるとまたコスモスが丸い蕾をかざした。忙しさに取り紛れても電話が減って

も、文哉君は遠くはなかった。ときどきになった電話は、変化の要所を几帳面に伝

えてきた。ある日の電話ではデッサンを始めたと語った。

「センセのトコ通り過ぎて週ニで行ってるんですよ、画塾。降りたいときあるんです

けど、まだ俺らしい顔になってないなと思って」

目標額が達成できた日その使途を告げ、その話の中に取り混ぜてさりげなく、初

めて父のことを口にした。

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