九年目の朝(9)
(拙書より)
そんな無心無我の訓練を絶対必要条件に据えなければと思わせられたのは、
子を与えられたときだと振り返る。『よい母と言われたいために母をやっては
いけない』。それが子を授かったと判った日に私が天から諭されたと思ったこ
とがらであり、『愛する』とはそういうことなのだと心に楔を打たれた思いで聴い
た天の声ではあった。その延長線上の「共育共室」であろうとしてきたはずだ
った。
それなのに、親しげに通って来た母の行為に乗って、その子の心まで高を括
ったのか。懐かしまれるどころか、彼からすれば父の敵の仲間だった私…。
彼にというよりも、自分の堕落を直視することになった気がして、その衝撃の大
きさに打ちのめされた。
ひさびさに苦くて痛い自己嫌悪を持て余し気味だった一日が過ぎ、少し落ち着く
と謎が解け始めた。外部を遮断した日々は彼の神経を鋭敏にし、母を感じ取る
ぐらい訳のないことだったに違いない。離婚に至るまでの両親を見ていた者は、
蔑まれた母への同情と同時に、父や父方の親族への恨み言にも耳を覆っただ
ろう。確かに他人の私まで疲れ果てるほど彼女のそれは多かった。ときに相槌
にも窮して聞くだけに終始した。息子は離婚の原因も知っていると彼女は言った。
父の愛人に子ができたのだそうだ。ならば普通は母の肩を持つであろうに、自
分の母親を「あの人」と呼んだ子の中に何が屈折しているのだろう。自己嫌悪か
らもう忘れたいとすら思う端で、性懲りもなくまた考えている自分に苦笑いした。
翌日の昼過ぎまたベルが鳴ったが、彼のはずはないので気軽に応答した。「もし
もし…」。瞬時にのめり込むような言葉が、のどかな「もしもし」を押しのけた。
「すみません、許して下さい。ちゃんと挨拶もしないでいきなり…。尾崎文哉です。
昨日のこと忘れてもらえませんか、ダメですか」
弾けるように私は笑い出していた。
「忘れてもらえません。ゼンゼンダメです。一日中落ち込んでまだ腰が抜けてます」
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