九年目の朝(7)
(拙書より)
文哉君の母は、二週間と空けずに訪ねてきた。四回に及んだ話し合いの八割
は、彼女自身の理不尽な扱われ方と辛さの吐露だったが、ひろい集めると文
哉君の五年の輪郭が見えてきた。想像どおり引き金は大学受験の失敗だった
が、意外だったのは美大を受けていたことだった。中学時代の彼が抱えていた
ものの正体がそれだったのかと、思い当たることがあった。共室の誰かが入選
したポスターを褒め合ったとき、彼は鋭い声で切り捨てた。
「そんな才能なんて人生を狂わすだけだ」
同席の子たちは気を呑まれて話をやめた。ちょうど欠席連絡の電話を受けて話
中だったので、運悪くその瞬間に私は立会っていない。知ったのは一ヵ月も後の
ことで、そのとき同席していた子の何気ない会話からだった。五年の輪郭以上に
思い出したその話が彼との距離を急に縮めた気がした。
さらに彼の母は最後の日に、息子を私のほうに押し出す言い方をした。
「実はこちらのお電話と先生が心配して下さっていることを、文哉に手紙書いたん
です。話はもう一年以上できなくなっていますので。もしあの子から電話があったら
話を聞いてやっていただけますか?」
自分はなにもかも聞いてもらって胸の中がすっかり軽くなったけれどと、何度も礼
や詫びを繰り返して彼の母は去った。
一番早い私立高の入学試験は、一月中にある。元日以外は特別指導も入り、緊
迫の日々が流れる。忘れはしなくても日々に取り紛れ、その母に会わなくなれば文
哉君は遠くなった。ふと思い出すとき、小さな悔いが過った。彼の母にもっと尋ねて
おくことがあった。特に私に会った後で荒れたのはなぜだったのか、彼の母の心
当たりを訊くべきだった気がした。一年以上話をしていないのならば、私に会った
その日メモでも渡したのだろうか。おそらくそうではない。彼は母を「感じて」いるの
だ。その確信に射貫かれて、二十歳の息子の「へその緒」はまだ切れていないと
思ったのだった。
ならば、なぜ、荒れた、のだろう…。
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