九年目の朝(6)
(拙書より)
本気でそんなことを言ったのですかと聞き返しそうになったが「はあ」とあいまい
な合いの手を入れただけで、その先を聞いた。お気に召さない千葉県に滅多に
来ない祖父が来たのは、孫の高校受験への提言のためだった。「こんなところ
にろくな高校などあるはずがない。A高にはなんとかここから通うにしても、こん
な地域の中学からでは受かるまいし、準備のためのましな塾などないだろう。
私に預けなさい、責任は持つ」
一晩中並べ立てられたという「私が預かる」必然性には、そもそも田舎の短大し
か出ていない母親などに子の将来は任せられないし、商社などに入った海外出
張ばかりの父親はいないも同然だという理屈が柱になった。それでも「預ける」
という返事が引き出せなかった祖父は、最大譲歩の条件をおいて帰った。それ
が「訳のわからん塾はやめさせて、せめて沿線最大の塾へ入れよ。私が手続き
して帰る」だったのだそうだ。
その日、文哉君の話はそれだけで、ほとんどがみじめな嫁の不当な処遇に終始
して、その夜は重苦しい時間で埋められた。彼女が時計に視線を運び始めたと
き、彼の話の少なさにたまりかねて尋ねた。
「荒れてとおっしゃいましたよね?大丈夫ですか、文哉君」
「はい、少し落ち着いたかもしれません。この間先生にお会いした後は珍しく荒
れたんですよね。こもり始めた頃は部屋の中をめちゃめちゃにしたんです。でも、
離婚した頃から収まって…。ええ、実は私、一年前に離婚したんです」
十一時近くなった帰り際に、持ち出されて続けられる話題ではない。当然のよう
に次の日曜日が予定される。
澱のようにへばりついた疲労感の下で、一つの言葉だけを収穫物のように見詰
めた。
「この間先生にお会いした後は珍しく荒れたんです」
二十歳の息子のへその緒は、まだ切れていない…。射貫かれたように、そう感じ
た。
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