九年目の朝(13)
(拙書より)
「自堕落」という言葉がある。ほとんど死語に近いその語の意味を私は恥じの
尺度の一つに据えてある。意外と思われるかもしれないが、大人よりも中学生
の心の基盤にその自制が芽吹いていることが多い。真っ当な意味での「自尊
心」である。健康な中学生は、甘えていい場が与えられても必要以上に貪らな
い。
彼の電話は激減した。少し心が痛んだけれども、半月ほど経っての電話で解
消した。
「センセ、我が家破産するとこでしたよ、電話料金で。マジ青かった」
「それだけ?」
「いや…、それ以外いっぱい…、考えました。時間、労力、迷惑…」
「やっぱりあなた優秀ね。時間とか料金って人間が考え出したものよね。ときに
は窮屈で発想が制約されて縮かむけれど、制約の中で何をするかできるかって、
あるいは自分は何を優先するかって、そんなところに生きてる面白さあるなぁと
思うのね。文哉君は何を優先するのかなぁ。楽しみだぁ」
「また、考えて電話します」
多くて月に二、三度の電話はその半分ほどは禅問答になった。適性、潜在力、義
務、強制、抑制、納得、願望、欲望、惰性、誠意、欺瞞…。手当たり次第に質問と
確認がくる。しかしテーマは手当たり次第でも、整理された問いかけは時間の浪
費を防いだ。残る半分ほどは日常の変化の報告になった。母と二人ぶんの夕食
を作り、庭の手入れも始めたと言う。
「センセ、花好きでしたよねえ。覚えてますか、理科の二分野。地球上で一番偉い
の誰だって質問。あれ思い出すと雑草毟るの迷っちゃいます」
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