九年目の朝(10)
(拙書より)
「ああ、よかったぁ、電話して。センセ、ちっとも変わってないです」
いま笑った私はだらしなく涙声になる。
「尾崎君も、かわってないじゃん。カビ生えてるかって心配したもん」
「センセ、俺、行ったんすよ、二年前、鍵閉まってた」
「ウッソ!ええ?ほんとに? もう…、だから買い物もヤなのよ」
私は頓狂な声を上げた。口惜しさで身を捩った。私の言い方がよほどおかしか
ったらしく、忍び笑いが漏れてきた。間に軽い咳が混じる。
「ねえ風邪引いた?」
「いいえ。話すの初めてだから…。いや、久しぶりで…」
「バカねえ、何やってるのよ、まったく」
笑い飛ばすはずの声がくぐもって、目の奥が痛んだ。小さな間が空く。
「センセ、また電話していいですか?」
「もちろんよ。ねえあなたの時間って、今頃がいいの? なるべくこの時間空け
ておく」
文哉君は電話の終わりにこう言った。
「センセ覚えてますか? 共室をやめるとき、『文哉君らしい大人ってどんな顔か
な、見たいなぁ』って言ったの。もうしばらく待ってください。きっと見てもらいに行
きます」
電話が切れた途端に恥ずかしいほどたくさん鼻をかんだ。それがおかしくて泣き
笑いになった。
尾崎文哉君の電話は、初めの一、二ヵ月はそれほど多くはなかった。心のどこか
で待っている自分を絶えずたしなめた。憔悴しているであろう者にとって、待たれ
るのは負担になる。それでも笑い合った日から一週間、十日と間が空くと、それが
彼の二年の重さに思えて切なかった。
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