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2008年2月

九年目の朝(2)

                        (拙書より)

遅い午後の小さな駅は人気がなくて、ホームの端のベンチは格好の場所に思

えた。坐るなりハンカチで顔を覆った彼女の嗚咽は、ありきたりな問いかけをた

めらわせる。私は所在なくただ彼女の背を摩っていた。痛ましさは湧いても、考

える材料も労わる種もない。

「すみません…」

もっと泣いていたいけれどもう切り上げなければというように、抑制した声で顔を

上げ、「ひきこもりって言うんですか、文哉…。もう、二年以上です」と、空虚な口

調で言った。

尾崎文哉君は優秀児だった。いわゆる成績のよい子である。ただ私の尺度で言

えば、少し不安を感じさせる子だった。普段から、受験に向っての緊張とは異なる

緊迫感をまとっていて、自我を抑え込んだ不自然な行儀良さが一緒にいる者まで

寛がせなかった。成績のよい子のなかには好成績を維持しなくてはと肩の力が抜

けなくて、余裕や弾力性を失っている子もいるが、そうした子にはなるべく早めに

冗談やまぜっかえしで、張り詰めたものを吐かせてしまう。そうしないと次の吸収

ができなくなる。しかし彼の場合は、余計な冗談などで集中力を殺いでくれるなと

いう厳とした拒否が漂っていて、迂闊なことはできなかった。ただ試験当日の朝、私

は電話をかけた。

「試験場へ入ったら、まずぐるっと見回すのよ。へえ、こいつら気の毒になぁ、俺と一

緒に入学式出られるの半分かぁって。そう思っただけで、プラス十点よ。分かった?」

「はい。分りました。ありがとうございました」

その声が一瞬涙声に聞えてはっとしたのだが、第一志望高に合格した後、彼は退室

して、その時の記憶も薄れていった。事あえて何があったという訳ではなかったから、

その母とは入退室の折り二度しか会っていないことになる。

予想もしなかった「ひきこもり」などと聞かされて絶句した私は、その頃の正体に顔を

殴られた気がしていた。

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九年目の朝(1)

                          (拙書より)

郊外を走る私鉄は、ときに意外な近さで木立や丘裾をかすめるカーブを描く。

少し前のめりになりながら、乱れ咲くコスモスを見送った。思いがけないところで

花に出会ったことが、帰宅への焦りを和らげた。

焦りといっても、時間に制約があるわけではない。いわばある種の癖のようなも

のだ。外出をすると往路からすでに、ひたすら帰りの時間を計り始める。こうして

いる間にも、思いを吐き出したい子が玄関に立ち、ブザーに応答がなかったらと

思うと落ち着かない。だからめったに外出しないのだが、その日は意を決して、下

校時間に合わせて、ある私立高の観察に出かけた。ひとりの通行人になって、校

門から出てくる生徒たちの顔をさりげなく見て、案内書にない知識にしたかった。

「低レベル」と言われる高校には二通りあり、世評に反して子どもたちには居心地

のよい学校がある。その年共室にいた成績不振な子のために、穏やかで健康的

な高校をぜひ見付けたかった。

視界からコスモスがさり、緩いカーブが反対側に体を反らせたとき、掴まっていた

乗降口側のポールに人の気配が近付いた。

「やっぱり先生、日永先生。尾崎です、文哉の母です」

「あ、え? ああ…、お久しぶりです、いまお帰りですか」

尾崎文哉君は高校合格後退室した五年前の生徒だった。私の降りる駅からさらに

二駅先に家があるはずだとの記憶が言わせた反射的な挨拶だったが、被せるよう

に加えた。

「文哉君お元気ですよね? 大学生、ですよね?」

言い終わりに上げた語尾が、口角に張り付いた。彼女の目にみるみる盛り上った涙

がこぼれ落ちそうになったからだ。私のほうがうろたえた。うろたえたはずみに彼女

を促して、ちょうど停車したホームに降りてしまった。

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かくれ難問題(17)

                      (拙書より)

ふたりは膝を乗り出して、深刻な顔で口々に訴える。私は迷いながらも、だんだ

ん彼等の思いに引かされていった。共室には別のコースもあることを知っている

のに、ふたりは「同じコースにだけは入れないで」と言ったのではない。「頼むか

ら断って」の意味は、学校も家も、コンビニさえも落ち着かない、せめてここだけ

は彼と無縁な場所にさせてくれとの切望なのだと沁みてくる。

「分ったわ。いっぱいで余裕ないって言う」

そう答えたとたん、さっと晴れた顔を見合わせて「ありがとございましたっ」と、声

もお辞儀も揃えたふたりは、それからしきりになにか囁きながら靴を履き、また一

人ぶんにしか聞えない声で「失礼しまーす」と帰っていった。

残されて同じ席に坐ったまま、私はしばらく自分の返事を反芻していた。「どんな子

でも受け入れる」が主義だったはずだ。押されて退いた、気安い妥協に思えなくも

ない。そして彼等のためにも、意に添わぬ者でも受け入れる努力こそが人の努め

と語る、絶好の機会ではなかったのか、そんな自責が燻ってもくる。頭の中では「偉

そうなもの」がうごめいて、しきりに異議を申し立てる。「主義は返上か」「要望を受

け入れるだけが愛情か」

たじたじと「偉そうなもの」に責め立てられて後悔しそうになったとき、胸の中から声

がした。「目の前の子を最優先できない大人なんて信用しない。そんなの偽善だ」

未だに、このときの葛藤と答えが尾を引いている。

未だに、なにが正しいのか私には解らない。

ただ、折に触れて、出会いを選ぶことも断ることもできない義務教育の先生たちに、

敬意や友情や同情が深まったことに思い至る。そう思う一方で、本当は誰にも、出

会いを選ぶことなどできはしないのだ、だから困ったり苦しんだりすることさえも尊い

のだと、神妙な思いに浸ることもある。

ちなみにケンとムラを悩ませた子の母からは、ついぞ問い合わせはなかった。私が

試されたのかと思わぬではない。

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かくれ難問題(16)

                         (拙書より)

ふたりは代わる代わる、旅行中べったりくっつかれっぱなしだったことを、辛そう

に話した。食事も隣、寝るのも隣、バスの席も隣、風呂から土産探しから電話を

かけるときまで…と、溜息を混ぜながら言う。

「こいつ必死で我慢したって。『一生に一度、三日だけだ』って。んで、最後の日

『友情の印、ずっと持ってて』って、同じポケモンのキーホルダー、ケンの鞄にも

くっつけた」

「ポケモン?あのアニメのポケモン?」

私は思わず声を上げた。

「俺、必死。いいよって、外して、返した。したら『趣味合いませんでしたか』って」

原田君はまた溜息をついた。「その後、もっと悲惨」と村井君が引き取る。

修学旅行の翌日、原田君の母にその子の母親からお礼の電話がきたのだとい

う。「あんたのことベタ褒めされて、お母さん鼻が高いわ。『今度遊びにお邪魔し

たいと言っていますのでよろしく』って言うから、どうぞどうぞ、こちらこそよろしく

って、言っといたわよ」。数日後にはスーパーで、クラスの子の母親から「みんな

が避けてる子に親切で、原田君って偉いのね」とも言われたそうだ。

「ケンのおばさん、すっかり舞い上がった。だからケン、なんにも言えません。家

にいると来られるの怖いから、ずっと俺んチ来てます。それも、おばさんには別の

家に行ってるって嘘ついたりです。おばさん、俺んチ知ってるから、教えたら来る

でしょ、あいつ。もう、なんでこうなるんかって、ホント、参ってます」

「別のコンビニもなんでか分かって、待ち合わせやめました。学校から帰るとすぐ

ムラんチ行って、メシ食いに帰ってすぐここへ来ます。学校もときどき行きたくない

日あります。ここにも来たら、俺、地獄です、マジで」

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かくれ難問題(15)

                          (拙書より)

原田君と村井君は一回ずつ休み、どちらもひとりで来た日は別人のように冴え

なかった。私は申し込みに来た日の「ムラんチ家建てたから」を思い出していた。

同じ中学に行けないと分かった日の彼等のショックが偲ばれて、ふたり揃うのが

待ち遠しかった。やっと揃った日、どちらにともなく「どうだった?」と訊くと、村井

君は「メシまずかった」とだけ言い、原田君は無言で情けない目を向けただけだ

った。

まもなくふたりは別々に共室に来るようになった。なにがあったのだろうと気にな

りながらも、気軽に踏み込んでは失礼な気がして、ひとりで気を揉んでいた。それ

でも帰りは一緒だし、並んで坐っている様子も、およそ仲がこじれているとは思え

ない。むしろより親密に、ひっそりとかばい合ってなにかを耐えているようにさえ見

える。見過ごせない思いが増して、やはり問いかけてみるべきかと思った夜「相談

があるけど、残っていいですか」と原田君が言った。当然のように村井君も残り、

ふたりは神妙な面持ちで坐り直した。

「先生、俺、わがままかもしんないけど、頼み、あります。どうしても聞いてください。

お願いします」

原田君が頭を下げると、村井君まで丁寧にお辞儀した。

「あいつの母親、ウチの母親に電話してきて、ここのこと、聞いてました。申し込ん

できたら、先生、頼むから、断ってください。いま、いっぱいで入れないとか言って。

お願いします」

今度は、ふたり同時に頭を下げた。真剣さにつり込まれて「うん、分かった」と言い

そうになったが、自制に似たものに遮られる。断るにしても欠席裁判は不当に思え

たし、知らない子でも中学生は粗末にしたくない。

「うん、でも、もう少し聞かせてくれる? なんか、ちょっと気が咎めるのよね。全然

知らない子、一方的に決め付けちゃうみたいでしょ。修学旅行でなにかあったの?」

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かくれ難問題(14)

                  (拙書より)

「日本人は最低だって。帰国子女とかに偏見を持ってる、それって安っぽい妬

みでしょ、もっとレベルの高い私立に転校させますって。先生謝ってばっかり。

一緒に行ったクラス委員むかついたって」

私は想像どおりの顛末に「やっぱりね」と言いそうになる。

千葉県の高校受験者が減り始めた1991年から5年半、ニューヨークに共室を移

したことがある。帰国子女が不登校になる原因は、もっぱら学力不足と聞いてい

たので、当初は「国語」と「社会科」「数学」など、外国で遅れる科目の学習を中心

に工夫をしていた。しかし1、2年経つうちに、意外な伏兵に気づかされた。帰国後

の親子から、チューリ君のようなトラブルの相談が手紙や電話でもたらされるよう

になり、帰国を控えた母たちもそれぞれどこからか耳にして不安を訴えに来る。

ある子は日本の英語教師に「その発音、わざとらしくて耳障り」と言われて授業に

出られなくなり、ある子は「意見が多くて生意気だ」と担任を含むクラス中から弾か

れた。ある子は無意識に漏らしたひと言を「自慢している」と決め付けられて、脱毛

や吃音に悩んでいた。事の発端はさまざまだったが、こじれかたと結末はほとんど

同じだった。「気取っている」と「妬みだ」の応酬であり、先生と親が絡むと、悪化す

ることはあっても容易に解消しない。双方とも大人の側に、日本よりも外国のほう

が素晴らしい、そこに住んだことのある者は別格だという、不思議な勘違いがあり

そうで情けない。どちらにも問題はありそうだけれど、修復不能なこじれかたを避

けるためには、チューリ君の母親のような言い方は控えたほうがよさそうだ。愛国

心がないなどと言われる若者たちも子どもたちも、まるで自分たちだけが部外者の

ような顔で、日本人は最低だの安っぽい嫉妬だのと言う日本人には、さすがに一線

を引いてしまう。

案の定、また聞きの共室の子どもたちも鼻白んだ面持ちで、声を落として囁きあって

いた。

「で、転校したんか?私立に」と原田君が訊くと「まだいるよ」。「学校来てんの?」と誰

かが問うと「校長とかまで謝ったからって、来てるよ、威張って」。

最後に村井君は、もうどうでもいいけどという顔で「高校はスイスへ留学するんだって

さ、ホントかどうかわかんねぇけど」と締め括った。

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かくれ難問題(13)

                           (拙書より)

原田君が、やっと聞える声で言うと、私も含んだみんなは思わず息を詰める。

「ケン、釣られて握手」

息を詰めていた者たちは、揃って「ワッ!」と言った。

「だってよう、急にだよ、先生とか見てんだよ。俺、死んだ」

原田君は頭を抱えて机にうつ伏した。

「それからコンビニで待ってんの。こいつのこと、友達って思ってんの」

村井君はうつ伏した親友の肩に手を回すと、感慨深げな目をして話しだした。

「俺さぁ、今クラス変わってタスカリだけど、一年のとき、いたんだよ、チューリって

子」。「なんでチューリ?」と誰かが訊くと「小学四年までスイスのチューリッヒに、3

年いたんだって」と答えた。

「なにかっていうと、チューリッヒはこうだってぇのな、チューリッヒのチョコレートは

日本のより香りがいいとか、空気が全然違うとかさぁ。向こうの友達からいまでも

クリスマス・カードが来るとか、カードの印刷まで違うとか。で、わざわざ持ってき

た。したら女子が、日本のカードのほうが質がいいって言ったんだよ。で、ケンカ」

村井君は、そこで一息ついて私のほうを見た。以前住んでいたことのあるニューヨ

ークで、日本製の文房具は高級品扱いだったと、私が話したことを思い出したのだ

ろう。みんなはケンカの結末が知りたくて、勉強を中断してしまった。揃って村井君

のほうに催促がましい目を向ける。

「チューリの味方、誰もいなくてさ、んで、そいつ、チクリに行った、職員室。クラス中

でイジメたって。んで、誰も口きかなくなった。そしたら、二ヵ月も登校拒否。先生とか

ビビッて、みんなで謝りに行けとか、迎えに行けとか大変よ、もう。先生も何回も行っ

て、おばさんに怒られてヘコんだ」

「おばさん、なんて怒ったの?」

私の中に湧いた予想と、おばさんの言葉の差異が知りたくて口を挿んだ。

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かくれ難問題(12)

                         (拙書より)

次の回ふたりは、いつもよりだいぶ遅くやって来た。入って来るなり原田君が

「この次、俺、来られません」と言い、「俺はその次です」と村井君が重ねるよう

に言って、ふたり同時に「修学旅行だから」とつけ加えた。同じ市内でも、学校

が違うので日程がずれている。私は、一緒に行きたかったでしょうと言いそうに

なった言葉を飲み込んだ。そうに決まっていることを言うのはオバサン発想だ。

私は「分かった」とだけ答えてカレンダーに印をつけた。ふたりは浮かない顔を

して、鞄を横においたまま坐っている。様子が変だ。

「なにかあった?」

私の問いかけに顔を上げた原田君は、それまでに見たことのない情けない目

をして言う。

「迎えにきた、あいつ。旅行の買い物、一緒に行こうって」

もう笑いごとではすまないという顔の村井君が、後を引き取った。

「俺さ、ほんと、びっくり。コンビニに一緒に来たからさ。ケン、泣きそうな顔だし

さ。んで、いままで買い物」

共室にいた子たちが、一斉に顔を上げてふたりを見た。「あいつ」が前回の「イ

イトコ坊ちゃんぶりっこ」君のことだとは、すぐ察しがつく。みんな他人事に思え

ない顔をしている。

「ケン、昔っからクジ運弱いからな」

村井君は、もう話す元気もなさそうな親友のために、修学旅行の班分けのいき

さつを解説してくれた。

「絶対って友達二人だけは組んでいい、あとは抽選ってさ、先生。三人組いくつ

かあって文句出たけど、そんなら全部抽選だぞって言うから、あきらめて二人組。

ウチのクラスもそう。で、クジ。あいつんとき、シーン。ケン当たったときすっげえの、

隣のクラスまで聞えたって。ワーッ!って」

「ヤダ、かわいそう、その子どうした?」

予想が当たり過ぎて、思わず私が声を上げた。

「俺んとこ、ツカツカ来て、よろしくって、手、出した」

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かくれ難問題(11)

                      (拙書より)

ちなみに、死にたいと何度か漏らした女子中学生の悩みのもとになっていた

「みんなに好かれる子になりなさい」という母親の口癖は、大人の迂闊さ安易

さの代表的な躾として、いまだに抗議したいもののひとつである。彼女は泣き

じゃくりながら悲痛に訴えた。

「みんなに好かれるなんて、できっこないよ。できたとしたって、自分じゃない自

分を見せて、すごく疲れて、ウソモノの自分が嫌で嫌でまた疲れて、センセ、そ

んなにしてまで生きてるの、もう嫌だ。でもセンセ、嫌われるの、やっぱり辛いよ」

私は何度かこう言った。

「嫌われることにビクビクしてると、その及び腰が卑屈に思われて、かえって嫌

われるって気がするんだけど…。みんなに好かれようなんて、目標にすることか

なぁ。人の好みや評価なんていろいろでしょ?そんなの気にするより、自分らしく

一生懸命生きてれば?いきいきと充実してる人って、少なくとも嫌われないと思う

んだけど。もしそれでも嫌いっていう人がいたら、放っておけば?そんな人にまで

好かれなくてもいいじゃん」

中学生にはこれで通じた。彼女は「ああ、あ」と声まで伴った大きな溜息を吐き出

して、

「『みんな、みんな』って、変な言葉!騙されるトコだった。『みんな』って人間、いな

いんだ」

女子は男子より人気を欲しがるのかと、考えたことのない質問を投げかけられて

思い出した少女たちの向こうに、意地悪な勘繰りが湧いた。特に女の子に言う「誰

らも好かれる人になりなさい」は、評判を上げておけば、それだけ良い縁談が持

込まれるという古い目論見の名残かと…。苦笑しながら肝心の質問をしたふたり

目を遣ると、彼等はいつの間にか真面目な顔をして勉強に集中していた。

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