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2008年1月

かくれ難問題(10)

                         (拙書より)

― いじめられるとは、本当はどんなことなのだろう…。「好きになってもらえな

い」ことまで入るのだろうか…。好きになってくれない者を恨んで、恨めし気な目

で睨んだら「好きになれない」ところで止まっていた者も「嫌いだ」に、進んでしま

うだろうに…。そこで「好きになれない」ほうが憎悪の対象にされたら「嫌い」を悟

られぬために逃げるしかなくなる…。それとも、好きになれない者を好きになる努

力も、人間の義務なのだろうか…。嫌な者を避ける権利ぐらいあってもいいでは

ないか?…。でも…、子どもたちの座談会などで、いちばん辛いのはシカトされる

ことだと言う…。

人間のもっとも自然で素朴な感情であるはずの「好き」「嫌い」が、こんなに大変な

テーマになるのかと、私は立ち竦んでしまった。彼女を慰める術もなければ、好か

れるためのアイデアも浮かばない。ほとほと弱り果てた頃、転校するとのことで突

然少女は去った。挨拶に来た母は晴れやかに言い切った。

「この町の人たちって、みんな意地悪なんですよね。だから子どもたちもイジメに走

るんです。今度の町は私の友達が住んでいて、いい人ばっかりだって言いますから」

たった二ヵ月余りの縁だったが、自分の無能さへの苦々しさも含めて、いわく言い

難い経験になった。ただ、その後出会った、よく似た悩みを抱えた中学三年の女子

との関わりで、小学生と中学生の根本的な違いに気づかされた思いがした。

中学生は、内省する力を持っている。他人を恨むより自分を省みて高めることのほ

うが、辛くても解決に繋がることを理解する知性も育っている。自分を被害者に据え

て、易々と同情を求めることをよしとしないプライドの高さもある。あとはそれらを信

じて伴走してやる者がいれば、中学生たちの人間的な成長は目を見張るものがあ

る。それが中学生の魅力として、私を魅了する。

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かくれ難問題(9)

                     (拙書より)

自分を叱りつけ、相手は子どもだ、なんとか工夫しなければと、気を取り直して

方向転換を試みる。

「ね、宿題とかないの?あったら一緒にやらない?」

「いいのいいの、お母さんとやるから」

「算数、特に分数忘れて、中学で困る子結構いるのよ。少しやってみる?」

「あ、分数は得意だから平気平気」

そして、それすらすぐ題材にする。

「中学でさ、分数で困るって、きっとモリユキオとかだよね。あいつ勉強全然だめ。

でもさ、新しい自転車とかゲームとか買うと、みんな呼ぶわけ。オヤツなんてケー

キよ、ケーキ。みんな行くわけよね」

ある日は、一枚の写真を取り出した。

「センセ見て見て、ほら、いつも言ってるコレがマツダユキね。こっちタニヒロコ。

こいつがいちばんいじめる。ヤナ顔してるでしょ」

彼女は鉛筆で顔を指し示しながら、何度も繰り返された名を言いざま、ガリガリと

引っ掻いた。

「よ、よしなさいよ、記念写真じゃないの、穴、空いちゃうでしょ」

恐怖に似た感覚が背筋を走り、声がうわずっている自分に慌てた。見ているこち

らにまで、憎悪が波動になって寄せてくる。たまりかねて、

「あなたがなんにもしないのに、どうしていじめるのかなぁ。本当に心当たりない

の?」と、暗に原因の一端はあなたにもあるのではという意を含んで問いかけると、

すかさず、

「だからずるいっていうわけ。みんな気に入った子とだけ、付き合いたいわけ。だか

ら、どうでもいい子は、シカト。それって、便利なイジメ。楽だもんね、なんにもしてな

いって言えるからね」

なるほど…と思いながら、考え込んでしまう。

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かくれ難問題(8)

                    (拙書より)

「先生もお金持ちの子が好きなのよ、ヒイキばっかり、許せない」という具合だ。

少女は三十分の面談時間のほとんどを、怒りの吐露で埋めた。以後、個人指

導の週二回二時間ずつ、私は恨みの矢弾を浴びることになる。「私がみんなか

ら嫌われて苦しんでいたって、先生はマツダユキとか好きな子しか見ないから

ね。私なんかシカト。許せないよ」

「私が休んだって電話もくれない。タニヒロコとか金持ちの子が休むと、家庭訪

問だよ」

「モリマサミとかお金持ちの子のトコはみんな遊びに行くんだ。あれってオヤツ目

的でしょ。ずるいよね」

少女の話には毎回ほとんど実名が出てきた。回が重なるうちに、呼び捨てにされ

る数人は、どうやらクラスの人気者らしいことが分かってくる。私の中に微妙な不

信感が漂い始めた。いじめられて苦しんでいるのか、嫉妬で苦しんでいるのか判

別がつかなくなった。しかし、私のなすべきことは、少女の客観的な分析や冷やや

かな批判ではなくて、彼女を理解し受け入れ、少しでも穏やかに朗らかに、小学生

らしい学校生活を楽しめるように手伝うことなのだと、必死で自分に言い聞かした。

だけれど、私は実にしばしば立ち往生した。相槌を打たないと「センセも変だと思

わないんだ」と抗議し、うっかり同情したような一言を漏らすと「あんな子でも親は可

愛いのかねぇ」と少女とは思えぬ表情をして、その子をこき下ろす。ある日は、はし

ゃぎながら飛び込んできて「ヤッター。天罰ってあるよね、いつも私をいじめるヤナ

セナオコ、今日捻挫。カッコつけて飛ぶからよ、跳び箱」。

私はだんだん会うのが重苦しくなってきた。今日は来る日だと思うと、朝から何度か

体裁よく断る方法はないものかと逃げ腰になっている自分に気づく。もう大人失格で

あり、先生などと呼ばれる資格はない。

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かくれ難問題(7)

                   (拙書より)

ふたりは急に声を潜めてなにか話し続けていたが、揃って私に目を向けると、

「センセエ、女子って男子より人気ほしがりですか?」と、突然訊いた。はて、ど

うだろうと言葉を探していると、質問というより、女子のひとりとして私宛てに不

信を言いたかっただけなのか、答えを待たずにまたふたりでしゃべり始めた。

私では訊く相手に相応しくなかったと思ったのかもしれない。

「やっぱ人気病だよ、あれ。みんなに好かれたくてさ、あっちこっち色気振りま

いてさ、んで、みんなに嫌われてんの」

「バッカだぁ」

ふたりの会話を聞きながら、私はある女の子を思い出していた。

「イジメに遭って、ときどき学校を休むようになりました。このままだと不登校に

なります。個人指導で話を聞いてやってください」

ひとりの母が訪ねて来て、どれほど悲惨な状況かを涙ながらに訴えた。その子

は六年生になったばかりだという。

「担任にいくら頼んでもだめなんです。勉強も運動も劣ってますから、可愛くない

んだと思います。少し喘息気味で、食も細くて、熱も出しやすくて…」

気の毒な母にも胸が痛んだが、改めて連れてくるという病弱そうな少女にも、相

当な思い込みで同情した。

しかし数日後、連れてこられた子は確かに細かったが、およそ弱々しくは見えな

かった。彼女は母をさえぎって、イジメの状況を声高に話し始めた。内容は母親

の話と同じに「シカト」という無視される日常についてだったが、怒りの激しさに気

圧されて、私が加害者として責められているのかと錯覚しそうになる。語尾には

とんど「許せない」か「みんなずるい」がつき、間には「お金持ち」が何度もはさ

まった。

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かくれ難問題(6)

                   (拙書より)

結論にもならない結論に、釈然としないまま顔を上げると、勉強を始めたと思っ

ていたふたりが、またヒソヒソとなにか話している。彼等もまだ釈然としないのだ

と、声をかけた。

「原田君、クラスでその子と席近いの?」

ふたりはおしゃべりを叱られずに、むしろ吐き出すチャンスをもらったとばかりに

乗り出した。

「ううん、今は離れた。ニ年の三学期はずっと俺のすぐ前。なんかっていうと振り

向くわけ。俺さあ、だんだんビクビクしてきて、いつ振り向かれるか落ち着かねぇ

の、参った。席替えの日、生き返った。今二つ後ろ」

「前ってヤベーよな。俺、小学校のときさ、変な女子いて、振り向かれるたんび、

エッ。離れたとき、目の前、晴れた」

村井君も実感をこめて言う。

「何年のとき?どんな女子よ」。原田君は初耳だという顔をする。

「お前とクラス別れた五年のとき転校してきた奴。なんつうか、うまく言えない。あ

のさぁ、色気っぽい奴」

「はぁ?五年でかぁ?美人か?」

原田君はニヤニヤした。

「映画とかで、知らない男にでもウィンクとかする女いるじゃん、ああいうの」

「お前にもウィンクすんの?」

「じゃぁなくて、それっぽく、私のこと好きだよねって目すんの」

原田君は、さっきまでの自分の悩みも忘れたように「好きだったんじゃねぇの、お

前のこと」と、肩で小突いた。村井君は思い切り顔をしかめると、小突かれた肩で

原田君が仰け反るほど押し返して

「違うって!それ、みんなにやるんだよ。女子にも、先生とかにも」

「なんだ、それ。ヘンタイじゃねぇの?」

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かくれ難問題(5)

                      (拙書より)

イイトコ坊ちゃんに「男子中学生らしい自然な牛乳の飲み方」を指導するわけに

もいくまい。かといって他の子たちに、小指を立てようが立てまいが、それは個人

の好みであって、異端視するのは間違いだなどと、お説教もできない。そんなとき

自分が担任であっても白々しく「はーい、みんな仲良くして」と言うのだろうか…。

いったい、「仲良く」とはどういう意味なのだと、追求したくなる。「仲良く」が「争わな

い」を指していると単純に考えて押し付けるからイジメが生まれるのだ、そんな飛

躍が胸の中に湧いて苦笑する。自分が日頃から「イジメ」というものに、一般論と

違う視点を持っていて、またそこに行き当たった気がしたからだ。私の「イジメの

因論」は、「偽善への集団癇癪」である。

子どもたちにいつも浴びせられるのは、「学習に励め」と「暴力はだめ」と「命の尊

さ」である。子どもたちを遣り切れなくさせるのは、そのスローガンではない。子ど

もにも大まかには分かっているそれらを、なぜそうなのかと踏み込まれたら、自分

の言葉で答えられそうもない大人たちが、振りかざすことにある。「仲良く」にしても

どんなときどうすることが、本当に仲が良いことなのか、吟味も説明もなく掲げられ

る。無条件に守ろうとすれば、どうしても好きになれない者と無難に過ごすために、

それとなく避けて無視するしかなくなる。いわば「仲良く」を「ことなかれ」と同意語に

据えて、その場しのぎをさせてしまう。そんな生き方は、中学生たちをいちばん腐ら

せる。絶えず苛立たせ、むかつかせ、不自然な我慢で疲れさせる。

そもそも学校なんてと、自分の中で開き直ってみる。社会に出て仕事を始める段に

なってから、好きだ嫌いだとケンカなどしていられないから、働かないでいられる子

どものうちに、人との関わり方を練習する場ではないのか。好かれたり嫌われたり、

揉めたり仲直りしたりの中から、体得し学習していくべきものであって、子どもはス

ローガンを暗記するために学校へ行っているわけではない。

― 私なら…、みんな仲良くしようなんて、言えないし、たぶん言わない…。言うなら

なんのためにどうすることが「仲良く」なのか、そこから話し合わないと…。

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かくれ難問題(4)

                   (拙書より)

「そういうのとも、ちょっと、な」

ふたりはどちらからともなく、ほとんど同時に言って顔を見合わせる。コンビニ

で村井君も見かけているから、親友への安易な同調ではなさそうだ。

「イイトコ坊ちゃんぶってる、って感じ。な」と頷き合った。

「こんばんは、って、そういう挨拶アリでもさ、同級生とかに言わないでしょ、セ

ンセ。俺、言ったことも聞いたこともねぇもん」

村井君は、その不自然さが私には分かるはずだという顔で、口を尖らした。後

を受けて原田君は、給食のとき膝にハンカチをかけるのだと複雑な表情をして

見せ、牛乳の飲み方まで真似た。牛乳を持った右手の小指を立て、左手は下

に添えたゼスチュアで、実に恨めしそうな目をする。

「わぁ、ヤバイなぁ。私もだめだぁ、そういうの…」

少なくとも障害で悩んでいる子ではなさそうだと思ったとたん、気が緩んでつい

本音を漏らした。二人は、自分たちの当てにしていたとおりの私の反応で、少し

は溜飲が下がったのか、坐り直して勉強道具を取り出した。

私のほうは、思いがけなく聞かされた、変わった子の話から、簡単に抜け出せ

なくなった。どちらかと言えば人間嫌いかと思う自分が、中学生に限っては無条

件に好きになれると思っていたのに、それは好きになれない子に出会わなかっ

ただけではないかと振り返ると、急に自信がなくなる。自分を疑い始めると、私

の何倍もの生徒たちと接触する、学校の先生たちに思いが及んだ。当の「イイ

トコ坊ちゃんぶりっこ」君を、担任の先生はどう扱っているのだろう…。

みんな仲良く、まとまったクラス…、担任になると先生たちは、まずこの目標に囚

われるらしい。そんな折、あからさまに和を乱す子はさておき、個性としての変わ

り者と、その子を遠巻きにして馴染まない子たちをどう融和させるか、その苦心

はおそらく笑いごとではないだろう。

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かくれ難問題(3)

                    (拙書より)

待ち合わせにはもっと都合がよい。雨も暑さも寒さも完全に凌げる。相手が遅

れてもその間に会った誰かとしゃべって、退屈もしない。文字通り「コンビニエン

ス」だ。店にとってはささやかな売上げ増より迷惑度のほうが勝っていそうな気

もするけれど。

「やっぱ、あっちにしようって。俺、学校だけで、かんべんしてよって感じ」

玄関から原田君の声がした。その後ろから村井君が「でもさ、5分は損だって。

あんな遠回り」そう言いながら、私と目が合うとお辞儀だけで、いつもの席に二

人で並んだ。原田君のほうは、挨拶どころではなさそうな深刻な顔をしている。

「うーん、だってよう、ここんとこもう三回じゃん『原田君、こんばんは』。ヤベー、

オカマ」

原田君は体をくねらせてから、手で払い退ける仕草をして顔をしかめた。

「学校でシカトされるから来るんだよ。『原田君お友達になってくれたはずよね』

とか」

村井君も身をくねらせて、声色を変えた。

「やーめろよ、気持ちワリー。俺、修学旅行辞めよかなぁ。あんなのと三日もいた

ら飯食えねえ。ああ、ヤベー」

原田君は両手で頭を抱えると机にうつ伏した。「どうしたの?」という顔を向けると、

村井君は原田君の肩に腕をまわして、気の毒でも笑いは勝手に漏れるんだという

くすぐったそうな表情で「センセこいつ、悩んでる」と言う。言葉の端ばしからおよそ

の見当はついた。気色悪い雰囲気の子が、いつもの待ち合わせ場所に現れて、

親しげに声をかけてくるから店を変えようとのことらしい。それまで一度も話題にな

ったことのない子の話なので、近付いている修学旅行と関係ありそうに思える。

「本当にオカマなの?」と私なりの思いもあって尋ねた。「性同一性障害」と呼ばれ

始めた不幸な事情の人々に、痛ましさを感じていた折だったので、そうでなくても物

思いの多い中学生ならどんなに辛いかと、知らない子のことでもつい踏み込んだ。

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かくれ難問題(2)

                          (拙書より)

中学生の物言いは省きすぎが多い。彼等の主な伝達手段は、言葉や文字では

ないのではないか、そう思い始めてから十年以上になる。以心伝心という言葉

があるが、その送受信能力が異様に高まるのが中学、高校時代かもしれないと

密かに珍説を温めている。彼等にとって言葉は、具体的な事象を指す以外、添

え物にすぎないと思うことすらある。この場合を例にすれば、「家を建てたから」

と言ったのは、申込書を見た私の中に湧いた「仲良く一緒に来た二人の中学校

名が違うのはなぜだろう」という疑問を、瞬時に察知したためであり、さらに言え

ば私の受信能力まで感じ取ったからである。その後付け加えた説明は、「この人

は、大人にしては受信能力がありそうだけれど、それでも所詮は大人のひとりだ

から、もう少し資料がないと無理だろう」との判断からきている。

「まあ…。惜しかったわねえ、そうだったの…。家建てるのって、完全に大人の世

界だものねえ…」

彼等の受信能力を当て込んで私も言外に「同じ中学に通える範囲で土地を吟味

してくれたらよさそうなものを、そんな選択基準なんて、大人にはないのよね、残

念ね」をこめてある。

二人は身を乗り出して「はい」と言い「なっ」と顔を見合わせた。

原田君と村井君は途中のコンビニで待ち合わせて来るらしく、それと思わせる会

話を混ぜながら入ってくる。帰りも必ず一緒に帰る。「またコンビニによるの?」と

聞くと「あ、はい、ええまあ」と声を揃える。中学生たちの多くはコンビニが好きなよ

うだ。買い物に行くというより、誰かに会うかもしれないという軽い期待のためらし

い。

普通は誰かと会うには約束が要る。申し出て約束するには理由が要る。しかし、

束するほどの理由がなくても、あるいは誰とかぎらなくても、ただなんとなく人に

会いたいときもある。そんなときコンビニは、打ってつけの場になる。店内で立ち

読みしたり文房具を見たりしているうちに、顔見知りがくればジュースを一本買う

などして、駐車場の端でおしゃべりする。

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かくれ難問題(1)

                      (拙書より)

子どもたちを集めたテレビの座談会などで「なんでも話せるのは誰か」と問うと

ほとんどの子は「友達」と答える。高校生を集めた番組で「今一番悩んでいるこ

とは何か」と尋ねたら、何人かの子が「友達はたくさんいるが、親友がいないこ

と」と答え、しばらく心に残った。子どもたちに、漢字の面白さを伝えたくて購入

した『漢字遊び』(講談社現代新書)という本で、「友」の同義語が60近くあったこと

に、みんなで感動しあったこともある。

一生の中で「親兄弟」「恋人や夫婦」「師弟、先輩後輩」など深い関わりを持つ

者がいるが、みなそれぞれに情以外にも、義理や利害や惰性も絡んで、関心

や好意の消滅だけでは縁が切れない。

しかし「友人」という関係には拘束するものがない。ある日どちらかが、あるいは

両方が、相手への関心を失って疎遠になれば、簡単に縁が切れて恨みすら残

ない。つまり、因果や制約で成り立っていない人間関係が友人である。それだ

けに、長い親交を保っている「友人」は、人の縁の中で最も純粋で別格なもので

はないかと感慨深いものがある。

共室に、自他ともにこれが「親友」なのだろうと思えるふたりがいた。ムラと呼ば

れる村井君は、原田君をケンと呼ぶ。健二郎のケンに違いないが、ある日「ケン

ちゃん」と呼びかけて、気の毒なほど照れた。幼馴染みが中学生になって修正し

たのかと思われ、それなら村井君は「ミッちゃん」だったのかと、光男の名から連

想して微笑ましかった。

ふたりが幼馴染みなのだろうとの推測は、入室時のクイズのような説明がヒント

になった。揃って訪ねてきて並んで書き終えた申込書を、同じ仕草で差し出すと

一息飲んで原田君が言った。

「ムラんチ、家建てたから」

言ってはみたものの、それでは説明になっていないと思ったらしく、顔を見合わ

せてつけ加えた。

「あとちょっとこっちに建てれば、同じ中学でした」

それでも充分な説明とはほど遠いが、幸いこの種の推理力だけは絶えず鍛えら

れている。おそらく建てた家の所在地が、わずかの差で学区の境界線を跨いで

いたのだろう。

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雪崩のあとさき(13)

                      (拙書より)

五月半ば、彼は修学旅行に行った。六月の彼は意欲的だった。七月の彼は

もっと熱中した。修学旅行で中間テストがなかったぶん、範囲の広くなった期

末テストに向けて、憑かれたように勉強した。頬の丸みが落ちて、顎が角張っ

て見える。「寝不足じゃないの?痩せてない?」と聞くと「いえ、一センチ伸びま

した。体重は同じです」と胸を張ってみせた。

中学三年生は、人間の一生のうちでも、特に感動的な変化を見せる子が多い。

少年の面差しから青年の顔に移ろう刻々は、山の中腹を流れる雲が山肌の色

を変えていくさまに似ている。少しずつ、独りで歩かなければならない日に備え

て甘さを脱いでいくさまに、エールを送るよりも涙ぐましくなる。

孝一君は、期末テストで全科目平均点を超え、数学の先生に「お前、ずいぶん

頑張ったな」と声をかけられたと伝えてくれた。

終業式の夜、彼の母から「明日、伺いたい」と電話があった。翌日、キュウリや

ミニトマトでいっぱいのポリ袋を提げて、そこだけよく似た切れ長の目の人が現

れた。相変わらず気忙しそうに、挨拶とトマトの話を取り混ぜて述べたが、その

日は腰を降ろした。

「まず先生にと思って…。見てやってください、あの子、本当に頑張ったんですね」

彼女は嬉しそうに、二つ折りの通知表を広げて差し出した。面談の日示された中

学一、二年の通知表のほとんどを埋めていた②が消えて、④が二つあった。学

期の講評欄を読んでいる途中で、待ちきれないように「あの…」と声がする。

「先生…、あの子、何していただいたんでしょう…。十年も悩んで、あちこち相談し

てダメだったヤニョウショウ、こちらに伺って一ヵ月ほどでピタッと止まって…。お

蔭様であきらめていた修学旅行も行けました。半信半疑だったんですけど、一度

もありません、もう」

頭の回線が繋がらない。ヤニョウショウ?夜尿症?

「嘘!何も、してません!」

私はたぶん叫んでいた。そして、支離滅裂なことを言った。

「何もしてません。ホントに何もしてません。ただ、ちっちゃな孝ちゃんと雪穴掘っ

て、ふたりでずっと坐ってました。修学旅行、隣のおばさんと、関係なかったんだ」

呆けたように坐り続けた私には、その母がいつ帰ったのか、記憶がない。

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