« 2007年6月 | トップページ | 2007年8月 »

2007年7月

私の中の酒鬼薔薇少年(8)

                                            (前ブログからの転載)

醜い顔は何人か覚えがある。

神を騙るエセ宗教家。

行き場のない子を虐待していた施設の長。

老人を食い物にした銀行員。

なまじ高級げな身分や地位を看板にしていると

生き様の低さとの落差がアクになって

面の皮に染み出すのだろうか。

少年の顔写真を載せた週刊誌の編集長もその出版社のドンも

知的産業に携わっている者とは

とうてい信じられない濁った貧相な顔をしていた。

そして、小学生でも分かっている、売りたかったのだ

という言葉の代わりに並べ立てる

表現の自由だの知らせる義務だのというキザな文言は

視線の定まらない者から吐かれると

憤りや滑稽さを通り越して

うら哀しく思えてくる。

― こんな奴等がこの国の言論界のリーダーだったんだ ―

| | コメント (0) | トラックバック (0)

私の中の酒鬼薔薇少年(7)

                     (前ブログからの転載)

私の妄想ではなかった犯人。

私の思い込みではなかった中学生たちの反応。

その不幸な一致に打ちのめされて沈みこみ

その不幸な一致に、

そこまで少年たちを追い込んだ大人たちへの憤りを募らせた。

マスコミは醜い狂奔を鎮めて、

識者を総動員して必死な対応を始めた。

特集を組んで、少年を怪物にした者や社会を

自問自答し始めた。

私も、滅多に買わない雑誌を買い込み、テレビを録画し続けた。

もしや、中学生たちへの理解が、一歩でも進んだかと。

でも、識者たちは、識者たちでしかなかった。

聞いたことのないカタカナの病名が並べられ、

したり顔での解説を聞かされただけだった。

どこにも、少年たちのために慟哭した者はいなかった。

いや、たった一人、いてくれた。

『賢治の学校』という学園の先生だった。

彼女は、並んだ識者の間で、なんども嗚咽した。

でも、その為か別の理由か、まもなく画面から消えた。

そしてかわりに出てきたのは、少年の顔写真を載せた週刊誌の

編集長だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

私の中の酒鬼薔薇少年(6)

                     (前ブログからの転載)

長屋のオバハン的な女子たちが、

どんな一言を漏らすかと注視したけれど、

ほとんど無反応だった。

ギャワギャワとテレビの中の大人たちと

同じ感想を口にするかと思ったのだったが、

妙に沈んでいただけだった。

― やっぱり彼女たちも中学生だったんだ…。

  大人たちとは違うんだ…。

そんな、安堵がよぎった。

テレビは、ひきつけを起こした。

犯人探しの時以上に醜かった。

連日特番を組んで、一日中津波になった。

中学生たちを集め、その母たちを集め、

識者といわれる人々を集めた。

真剣か深刻か必死か必死なふりか、

大人たちがうろたえざわめく向こうで

一人の少年が自殺した。

― 僕も酒鬼薔薇になる前に、自分で自分を始末します ―

それが遺書だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

私の中の酒鬼薔薇少年(5)

                                                       (前ブログからの転載)

翌日の夜、中学生たちを前に

ボソッと私は呟いた。

「可哀想 ね」

いつも大きな溜息を吐く中三の男子が「うん」と言った。

「被害者の子 が でしょ?」

当然思うはずのことを、私はわざと聞いた。

「ちがうでしょ!」

その子の声は鋭くて抗議的だった。

私は黙って手を差し出した。

彼は―あんたなら分かると思ってた―という目をして

ギュッと手を握り返した。

隣の席の男子が、私の目をのぞいて言った。

「俺も酒鬼薔薇になると思ってるでしょ、センセ」

中一で学年2番、中ニでビリから3番。

「成績の上下を存在の証明に使ってるの?」

と話しかけて始まった中三で入ってきた子だった。

来る度幼児的ないたずらをしかけて、

私の反応を調べている。

大きな目の奥に、大量の涙を溜め込んでいるような子。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

私の中の酒鬼薔薇少年(4)

                       (前ブログからの転載)

大人たちが作った犯人像は、私の中の怖れからは

とても遠かった。

それでも消えないマサカが怖くて

臨時ニュースの音におびえた。

中学生たちが帰ったある夜、

点けたとたんにテレビが言った。

「…犯人は中学3年生、14歳の少年A…」

わわぁ~(やっぱり~)

私は悲鳴を上げて

それから

幼児のように泣き出した。

ごめんね ごめんね ごめんね

それしか言葉を知らない者のように

繰り返し続けて泣いた。

泣き疲れた夜明け、気管支がやけどしたような痛さの中で

彼の

深い深い、暗い寒い孤独が沁みて

今度は声を殺して泣き続けた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

私の中の酒鬼薔薇少年(3)

                      (前のブログからの転載)

社会のにぶい色、中学生たちの心の錆び。

きっかけがなくてもプツリと切れてしまいそうな限界を往復している

まともな感性の少数派たち。

同じ空間にいるだけで、傷みが感染しそうな夜。

彼等が帰った後、10分20分と、席を立てない夜が増えていった。

そして、

あの事件

が、起きた。

マスコミは狂奔した。

興奮し取り乱した大人たちは、勝手な犯人像を膨らまして喚いた。

私は恐れていた。

マサカ マサカ マサカ。

でも、テレビに映る赤い直線的な挑戦状の文字が、

犯人の心臓からしたたり落ちる

に、見えた。

そんな血を、大人は流さない…。

私の中で呟く者がいる。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

私の中の酒鬼薔薇少年(2)-前のブログからの転載

ほとんどの子が、私の知っている中学生ではなかった。むしろ、中

学生の特質から最も遠いものを纏っているようにさえ見えた。

人生に疲れ果てた中年。

したたかな器用さで世渡りするオバハン集団。

彼等を変貌させたものが何なのか。

心当たりが無くはなかった。

だけれど、その心当たりが、自分の思い込みであって欲しくて、そう

ありたい雑念が、直視を妨げていたようだった。

中学生たちを変質させたものが、大人たちのあくどさであって欲しく

ない。卑しさであって欲しくない。さもしさであって欲しくない。干上が

った情感であって欲しくない。

それら以上に

中学生たちの心を殺すはないのだから。

6年目に見た日本。大好きな国。

バブルが弾けたのだという。

政治も教育現場も、銀行も公共機関も、そして母たちも、理屈にもなら

ぬ開き直りで、恥も誇りもかなぐり捨てた、ように、見えた。

それでいて、振り捨てたことをバネに活力を得たかと見ればもっと脱

力して澱んだ目になったかに見えた。

やり場のない哀しさとシンとした憤りが寄せる…。


ほぼ同時期にドイツから4年目に帰国したという人に会った。

その人は言った。

「成田に降りたとき、日本人ってこんなに下品な顔してたかと

ギクリとしました」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

私の中の酒鬼薔薇少年(1)―前ブログからの転載

その事件から10年目だと、被害少年のお父さんにインタビューして

いた。改めて胸が痛んだ。

そして、別次元で、加害少年への思いが、10年前と同じに心を引き

攣らせる。

彼が捕らえられた夜私は独りで、朝まで慟哭した。

当時私は、13年目を迎えた補習塾を続けていく気力を失いかけて

いた。私にとって、人間の中で最も信頼できると思い続けていた中学

生たち。その彼等の予想外な変質にめったに絶望などという言葉を

思い浮かべさえしない自分が心萎えて坐り込んでしまっていた。

たった5年るすにした日本…。

アメリカから帰国して再開設した塾で出会った中学生たちを前に異星

に移住したほどの驚きを感じていた。

ある子は、ひどく疲れていた。

机にうつ伏した背中が、押し潰されたに見えて、うかつに声を掛けら

れない。

ある子は身を捩って、しょっちゅう溜息をもらした。

親友だとの振れ込みで同時入室した少女たちは、一緒のときと別々の

ときでは、別人のような変化を見せた。

親友がいない時は、平然と悪口を言った。

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

共育共室(15)

子どもたちは大人が思うほど、迷ったり考えあぐねたりする大

を頼りないとは思わない。

真摯に、謙虚に、ひたむきに、どう生きることがよいことかと、そ

の子と共に探しながら歩いてくれる大人こそ、尊敬も信頼もでき

ると信じている。知識や智恵は、その路線上で分け与えてくれれ

ばいい。

繰り返しになるが、歩いて行く目的地は、一般論や抽象論での

幸福探しではない。

その子にとって、もっとも相応しく、もっとも充実感を持てるであろ

う目的地である。

よく一人一人の個性を大切にと、言いもし聞きもするけれど、絶え

ず原点から吟味し確認しないと、言葉遊びになる。

原点からとは…私たちは生き物であり、生き物の一種人間であり、

人間の中の男(女)であり、そしてその上の『   』な個性の者で

ある、と。

親としての自分をベースに、子への向き合い方を延々と述べてきた

けれど、これがすべて、補習塾『共育共室』の土台や骨格になって

いる。

社会通念上、先生と呼ばれてはいるが、子どもたちの大半は血縁

に近い存在だと思ってくれているらしい。

一年に何人か泣きにくるOB、OGがいる。泣かない人生であって欲

しいけれど、泣ける場所と思う子が一人でもいる限りココにいる私

ありたいと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

共育共室(14)

既存の宗教には説得力がなくなり、隙間から噴出す毒キノコの

ようなカルト教団がおぞましいニュースになる。

道徳も倫理も自尊心も、語れば偽善や欺瞞にしか聞こえない。

最低限の提唱として命は大切にと言ったところで、自殺大国と

解説される報道にかき消される。

そんな社会を背景に、子どもたちに何か教えよう導こうとしなけ

れば大人の沽券にかかわる…そう気負うから一層失望させるの

ではないのか。

大人には権威がなければならない…そう思い込むことで空回りが

始まるのではないか。

卑屈になってはならない(子どもたちがもっとも嫌う)けれど、正直

にありのままに語りかければよいのではないか。

どう生きていったらいいか、一緒にかんがえようよ、と。

吾が子が十代になった頃、彼はどんな親、どんな大人を必要とし求

めるだろうかと考えた。

連想の基には、半無意識だった自分の十代を掘り起こして当てた。

子どもの側に立った自分は、通常とは相当違った意味で、とても欲

張りだった。

いつも見ていて欲しい。

それが第一の願望だった。

いつも見ていて欲しいけれど、口も手も出さないで欲しい。

それが第二の願望だった。

口も手も出さないで欲しいけれど、本当の危険だけは直前で避

けさせて欲しい。

それが第三の願いだった。

そしてなによりも、横並び語り合って欲しかった。

真摯に、謙虚に、ひたむきに、どう生きることがよいことなのかを

語り合ってくれる大人が欲しい…それが十代の自分を通して吾が

子に重ねた時の、理想の大人だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年6月 | トップページ | 2007年8月 »